元慰安婦への補償はどのように行われてきたの?

    慰安婦への賠償問題は「法的に解決済み」という立場の日本政府は、1995年に設立した「アジア女性基金」を通じて、民間の募金を原資とする「償い金」を支給してきました。しかし韓国の元慰安婦支援団体は反発し、日本政府の「正式な謝罪と補償」などを求めています。

1965年、日韓基本条約によって日本と韓国の国交が正常化しました。
この際に結ばれたのが「日韓請求権協定」です。

第2条1項は以下の通りです。

両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する

協定には請求権が「完全かつ最終的に解決された」と明記されています。
この協定により賠償問題は法的に解決済み、というのが日本政府の立場です。

その後、1990年に慰安婦が政治問題化し、
1993年に「お詫びと反省」を表す「河野談話」を発表しました。
(参考記事 慰安婦問題の浮上と「河野談話」までの経緯

河野談話の中には、

また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。

とあり、慰安婦への「お詫びと反省の気持ち」を表す措置をとることが念頭におかれています。

一方で、日本政府は上記のように日韓請求権協定によって法的に解決済みという立場から、
慰安婦に対して正式な「補償」を行うことができません。

そこで、民間の募金を「償い金」として支給することとなりました。
1995年7月、財団法人「女性のためのアジア平和国民基金」、いわゆる「アジア女性基金」が設立されます。

そして戦後50年の節目となる1995年8月15日、
村山富市総理大臣が「村山談話」を発表しました。

わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます
(※村山談話より一部抜粋)

同じ日に、村山首相は「アジア女性基金」への募金を国民によびかけました。
元慰安婦に対する基金の「償い事業」は、以下の3本の柱からなります。

アジア女性基金「償い事業」3つの柱
  • 総理大臣のおわびの手紙:道義的責任を認め、おわびと反省を表明
  • 「償い金」の支給:国民からの募金で、1人あたり200万円を支給
  • 医療福祉支援事業:日本政府が政府資金で実施

償い事業に対し、韓国政府は当初は評価していました。
しかし、元慰安婦の支援団体等が反発し、韓国政府の態度も硬化していきます。

基金の成立に対して、韓国政府は「一部事業に対する政府予算の支援という公的性格が加味されており」、「当事者に対する国家としての率直な反省及び謝罪を表明し」、「真相究明を行い、これを歴史の教訓にするという意志が明確に含まれている」とし、これを「誠意ある措置」として歓迎する意向を示しました。他方、運動団体の多くは、日本政府の謝罪と補償を要求し、「民間団体」による「慰労金」支給は受け入れられないと批判しました。その結果、韓国政府の態度もこれに影響を受けました。
(※「デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金」HPより一部抜粋)

1997年、韓国での「償い事業」が始まります。
しかし、韓国メディアや被害者団体側は強く反発し、
「償い金」を受け取った元慰安婦への嫌がらせが行われたのです。

韓国のメディアは「基金」事業を非難し、被害者団体等による元慰安婦7名や新たに「基金」事業に申請しようとする元慰安婦に対するハラスメントが始まった。被害者団体は、元慰安婦7名の実名を対外的に言及した他、本人に電話をかけ「民間基金」からのカネを受け取ることは、自ら「売春婦」であったことを認める行為であるとして非難した。また、その後に新たに「基金」事業の受け入れを表明した元慰安婦に対しては、関係者が家にまで来て「日本の汚いカネ」を受け取らないよう迫った。
(※「河野談話作成過程等に関する検討チーム」発表資料より一部抜粋)

その後、事業を一時中断したり、事業内容の転換の模索などを経て、
結局、2003年5月に韓国におけるすべての事業が終了しました。
韓国では、基金を受け取ったのは約60人にとどまりました。

基金の3事業は、韓国、フィリピン、台湾で合計285人を対象実施され、
オランダでは79人に対し医療福祉支援が行われました。

また、インドネシアでは、個人に対する事業ではなく、
高齢者福祉施設の整備を支援する、という形が取られました。

アジア女性基金は2007年3月に解散となります。
償い金として集まった国民からの募金は総額5億6500万円になりました。

参考ページ

デジタル記念館「慰安婦問題とアジア女性基金」

「慰安婦問題に対する日本政府のこれまでの施策」外務省HP

国会図書館資料「従軍慰安婦問題の経緯」