憲法の解釈を変えるのはアリなの?

憲法9条で認められる自衛権の解釈自体、時代とともに変化してきたものだといえます。
※参考「集団的自衛権をめぐる憲法9条の解釈の変遷」

憲法の解釈が変更された事例としては、憲法66条2項の「文民」の解釈変更があります。

憲法66条は次の通りです。

憲法66条
内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
2項
内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
3項
内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。

2項はいわゆる「シビリアン・コントロール」を規定したもので、「文民」の対語である「武人」が大臣に就任することを禁じています。

1954年の自衛隊発足後、自衛官は「文民」であると解釈されていましたが、1965年に「自衛官は文民にあらず」と憲法解釈が変更されました。

この件は、2004年6月18日の政府答弁書に分かりやすく記されています。
以下、一部抜粋します。

自衛隊が警察予備隊の後身である保安隊を改めて設けられたものであり、それまで、警察予備隊及び保安隊は警察機能を担う組織であって国の武力組織には当たらず、その隊員は文民に当たると解してきていたこと、現行憲法の下において認められる自衛隊は旧陸海軍の組織とは性格を異にすることなどから、当初は、自衛官は文民に当たると解していた。
その後、自衛隊制度がある程度定着した状況の下で、憲法で認められる範囲内にあるものとはいえ、自衛隊も国の武力組織である以上、自衛官がその地位を有したままで国務大臣になるというのは、国政がいわゆる武断政治に陥ることを防ぐという憲法の精神からみて、好ましくないのではないかとの考え方に立って、昭和四十年に、自衛官は文民に当たらないという見解を示したものである。

また、同じ答弁書では、憲法解釈の変更について次のように指摘しています。

憲法を始めとする法令の解釈は、当該法令の規定の文言、趣旨等に即しつつ、立案者の意図や立案の背景となる社会情勢等を考慮し、また、議論の積み重ねのあるものについては全体の整合性を保つことにも留意して論理的に確定されるべきものであり、政府による憲法の解釈は、このような考え方に基づき、それぞれ論理的な追求の結果として示されてきたものであって、諸情勢の変化とそれから生ずる新たな要請を考慮すべきことは当然であるとしても、なお、前記のような考え方を離れて政府が自由に憲法の解釈を変更することができるという性質のものではないと考えている。
仮に、政府において、憲法解釈を便宜的、意図的に変更するようなことをするとすれば、政府の憲法解釈ひいては憲法規範そのものに対する国民の信頼が損なわれかねないと考えられる。
このようなことを前提に検討を行った結果、従前の解釈を変更することが至当であるとの結論が得られた場合には、これを変更することがおよそ許されないというものではないと考えられるが、いずれにせよ、その当否については、個別的、具体的に検討されるべき

答弁書では、「政府が自由に憲法の解釈を変更することができるという性質のものではない」ものの、「変更することがおよそ許されないというものではない」としています。

このように、過去に憲法解釈が変更された事例はあり、解釈変更は絶対に許されないものではありませんが、個別的・具体的に慎重に検討されるべきものなのです。

問題は、解釈変更が妥当なものかどうかの価値判断です。

集団的自衛権の行使を認めるように解釈を変更することについて、賛成派は、状況の変化に伴って論理的整合性がとれる範囲内の許容される変更だと主張。
反対派は、解釈で変更できる範囲を逸脱している「解釈改憲」だと訴えているのです。