第1の矢「金融緩和」はどのように始まったの?
2012年の衆院選挙で「大胆な金融緩和」を公約に掲げた自民党が勝利すると、安倍新政権と日銀の「共同声明」に金融緩和方針が明記されました。そして、金融緩和論者の黒田東彦氏が日銀総裁に任命されます。2013年4月、黒田日銀は「量的・質的金融緩和」を打ち出しました。市場へのマネー供給量を2年で2倍にするなど大規模な金融緩和で、物価上昇率2%を約2年で達成することを目標に掲げています。
日銀の金融政策は「白から黒へ」の大転換
アベノミクスの第1の矢と位置づけられる「金融緩和」は、2012年の衆院選挙において自民党の公約に、デフレ脱却の方策として明記されました。
明確な「物価目標(2%)」を設定、その達成に向け、日銀法の改正も視野に、政府・日銀の連携強化の仕組みを作り、大胆な金融緩和を行います。
※2012年衆院選挙・自民党公約より抜粋
自民・公明が衆院選挙に勝利し安倍政権が発足すると、政府・日銀は2013年1月22日に「共同声明」を発表し、2%インフレ目標を「できるだけ早期に実現する」ための金融緩和を行うとしました。
日本銀行は、物価安定の目標を消費者物価の前年比上昇率で2%とする。
日本銀行は、上記の物価安定の目標の下、金融緩和を推進しこれをできるだけ早期に実現することを目指す
※政府・日銀の「共同声明」(2013年1月22日)より抜粋
日銀がそれまで掲げていた物価安定の「めど」としての「1%」が、「2%」の「目標」へと変わりました。日銀総裁が白川方明氏から黒田東彦氏に交代することになぞらえて、「白から黒へ」と表現されるほどの金融政策の大きな転換です。
新総裁の打ち出した「黒田緩和」
2013年4月4日、黒田新総裁のもとで初めて開かれた金融政策決定会合において、「約2年で2%の物価上昇」を目指す具体的な金融政策が決定されました。
黒田緩和の主な内容
- 政策指標を、短期資金の貸し借り金利(無担保コールレート)から、日銀による市場への資金供給量(マネタリーベース)に変更
- マネタリーベースを2年間で2倍に拡大
- 従来よりも長期の国債も日銀が買い入れる
- 上場投資信託(ETF)や不動産投資信託(REIT)などの購入を拡大
- 日銀の国債購入の上限額を定めた「銀行券ルール」を一時凍結
銀行が保有する国債などを日銀が大量に買い入れることで、銀行の手持ち資金を増やし、消費や投資にお金が回りやすくします。
また、目標達成への強い姿勢を示すことで「インフレ期待」を高め、「物価が実際にあがる前に買い物をしよう」といった心理から、消費や投資を促して実際に物価上昇を実現する狙いがあります。
なお、「インフレ目標」は、一般的には高インフレの抑制策であり、日本のようにデフレ脱却のために導入するのは異例のことです。そのため、「壮大な社会実験」とも評されています。
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